憲法

【重要判例】昭和女子大事件

1. 事件の概要

昭和女子大学所属の学生が、大学当局の許可を受けることなく、左翼的政治団体に加入し、更に大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をした。

大学では、前記のような学生の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、学生に対して左翼的政治団体との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等の措置をとった。

すると、学生大学当局から受けた取調べの様子雑誌に掲載したり、ラジオ放送で述べた

大学は一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」として退学事由に該当するとして学生を退学処分としたところ、その退学処分が違法なものであるかが争われた。

2. 争点/論点

・私立大学の学則の細則が、憲法の基本権保障規定に反するという主張は認められるのか。(私人間効力)

・本件において、大学が学生を退学処分とする際に補導の過程を経なかったことが、裁量権の逸脱であるという主張が認められるのか。

3. 条文

条文

憲法

第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第23条 学問の自由は、これを保障する。

4. 最高裁判決

 上告代理人雪入益見外83名の上告理由第一章について。
 論旨は、要するに、学生の署名運動について事前に学校当局に届け出てその指示を受けるべきことを定めた被上告人大学の原判示の生活要録6の6の規定は憲法15条、16条、21条に違反するものであり、また、学生が学校当局の許可を受けずに学外の団体に加入することを禁止した同要録8の13の規定は憲法19条、21条、23条、26条に違反するものであるにもかかわらず、原審が、これら要録の規定の効力を認め、これに違反したことを理由とする本件退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤ったものである、と主張する

 しかし、右生活要録の規定は、その文言に徴しても、被上告人大学の学生の選挙権若しくは請願権の行使又はその教育を受ける権利と直接かかわりのないものであるから、所論のうち右規定が憲法15条、16条及び26条に違反する旨の主張は、その前提において既に失当である。また、憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、又は公共団体統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障すること目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和43年(オ)第932号同48年12月12日判決・裁判所時報632号4頁)の示すところである。

したがって、その趣旨に徴すれば、私立学校である被上告人大学学則の細則としての性質をもつ前記生活要録の規定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論ずる余地はないものというべきである。所論違憲の主張は、採用することができない。

要約

憲法の「人権保障の規定」は私人相互間の関係について当然に適用または類推適用されるものではない。

ところで、大学は、国公立であると私立であるとを問わず、学生の教育と学術の研究を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する学生を規律する包括的権能を有するものと解すべきである。特に私立学校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによって社会的存在意義が認められ、学生もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該大学に入学するものと考えられるのであるから、右の伝統ないし校風と教育方針を学則等において具体化し、これを実践することが当然認められるべきであり、学生としてもまた、当該大学において教育を受けるかぎり、かかる規律に服することを義務づけられるものといわなければならない。もとより、学校当局の有する右の包括的権能は無制限なものではありえず、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に学生のいかなる行動についていかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるとするかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、各学校の伝統ないし校風や教育方針によってもおのずから異なることを認めざるをえないのである。これを学生の政治的活動に関していえば、大学の学生は、その年令等からみて、一個の社会人として行動しうる面を有する者であり、政治的活動の自由はこのような社会人としての学生についても重要視されるべき法益であることは、いうまでもない。

しかし、他方、学生の政治的活動を学の内外を問わず全く自由に放任するときは、あるいは学生が学業を疎かにし、あるいは学内における教育及び研究の環境を乱し、本人及び他の学生に対する教育目的の達成や研究の遂行をそこなう等大学の設置目的の実現を妨げるおそれがあるのであるから、大学当局がこれらの政治的活動に対してなんらかの規制を加えること自体は十分にその合理性を首肯しうるところであるとともに、私立大学のなかでも、学生の勉学専念を特に重視しあるいは比較的保守的な校風を有する大学が、その教育方針に照らし学生の政治的活動はできるだけ制限するのが教育上適当であるとの見地から、学内及び学外における学生の政治的活動につきかなり広範な規律を及ぼすこととしても、これをもって直ちに社会通念上学生の自由に対する不合理な制限であるということはできない。

 そこで、この見地から被上告人大学前記生活要録の規定をみるに、原審の確定するように、同大学学生の思想の穏健中正を標榜する保守的傾向私立学校であることをも勘案すれば、右要録の規定は、政治的目的をもつ署名運動に学生が参加し又は政治的活動を目的とする学外の団体に学生が加入するのを放任しておくことは教育上好ましくないとする同大学の教育方針に基づき、このような学生の行動について届出制あるいは許可制をとることによってこれを規制しようとする趣旨を含むものと解されるのであって、かかる規制自体を不合理なものと断定することができないことは、上記説示のとおりである。

 してみると、右生活要録の規定そのものを無効とすることはできないとした原審の判断は相当というべきであって、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

 同第二章について。
 論旨は、要するに、本件退学処分は、上告人らの学問の自由を侵害し、かつ、思想、信条を理由とする差別的取扱であるから、憲法23条、19条、14条に違反するものであり、また、かかる違憲の処分によって上告人らの教育を受ける権利を奪うことは憲法13条、26条にも違反するにもかかわらず、原審右退学処分を有効と判断したのは、憲法及び法令の解釈適用を誤ったものである、と主張する

 しかし、本件退学処分について憲法23条、19条、14条等の自由権的基本権の保障規定の違反を論ずる余地のないことは、上告理由第一章について判示したところから明らかである。したがって、右違憲を前提とする憲法13条、26条違反の論旨も採用することができない。

 また、原審の確定した上告人らの生活要録違反の行為は、大学当局の許可を受けることなく、上告人A1が左翼的政治団体であるD同盟(以下、D同という。)に加入し、上告人A2がD同に加入の申込をし、更に、同上告人が大学当局に届け出ることなく学内において政治的暴力行為防止法の制定に対する反対請願の署名運動をしたというものであるが、このような実社会の政治的社会的活動にあたる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和31年(あ)第2973号同38年5月22日判決・刑集17巻4号370頁)の趣旨に徴して明らかであり、また、右退学処分が上告人らの思想、信条を理由とする差別的取扱でないことは、上告理由第三章について後に判示するとおりである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 同第三章について。
 論旨は、要するに、大学学生に対して退学処分を行うにあたっては、教育機関にふさわしい手続と方法により本人の反省を促す補導の過程を経由すべき法的義務があると解すべきであるのに、原審右義務のあることを認めず、適切な補導過程を経由せずに行われた本件退学処分を徴戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして有効と判断したのは、学校教育法11条、同法施行規則13条3項被上告人大学学則36条の解釈適用を誤ったものである、と主張する

思うに、大学の学生に対する懲戒処分は、教育及び研究の施設としての大学の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であって、懲戒権者たる学長が学生の行為に対して懲戒処分を発動するにあたり、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状右行為の他の学生に与える影響懲戒処分の本人及び他の学生に及ぼす訓戒的効果右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通暁し直接教育の衝にあたるものの合理的な裁量に任すのでなければ、適切な結果を期しがたいことは、明らかである(当裁判所昭和28年(オ)第525号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1463頁、同昭和28年(オ)第745号同29年7月30日第三小法廷判決・民集8巻7号1501頁参照)。

 もっとも、学校教育法11条は、懲戒処分を行うことができる場合として、単に「教育上必要と認めるとき」と規定するにとどまるのに対し、これをうけた同法施行規則13条3項は、退学処分についてのみ四個の具体的な処分事由を定めており、被上告人大学の学則36条にも右と同旨の規定がある。これは、退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、当該学生に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合にかぎって退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙したものと解される。この趣旨からすれば、同法施行規則13条3項4号及び被上告人大学の学則36条4号にいう「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものとして退学処分を行うにあたっては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要することはもちろんであるが、退学処分の選択も前記のような諸般の要素を勘案して決定される教育的判断にほかならないことを考えれば、具体的事案において当該学生に改善の見込がなくこれを学外に排除することが教育上やむをえないかどうかを判定するについて、あらかじめ本人に反省を促すための補導を行うことが教育上必要かつ適切であるか、また、その補導をどのような方法と程度において行うべきか等については、それぞれの学校の方針に基づく学校当局の具体的かつ専門的・自律的判断に委ねざるをえないのであって、学則等に格別の定めのないかぎり、右補導の過程を経由することが特別の場合を除いては常に退学処分を行うについての学校当局の法的義務であるとまで解するのは、相当でない。

したがって、右補導の面において欠けるところがあったとしても、それだけで退学処分が違法となるものではなく、その点をも含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して、その退学処分の選択が社会通念上合理性を認めることができないようなものでないかぎり、同処分は、懲戒権者の裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を否定することはできないものというべきである。

要約

大学が学生の退学処分を実施するにあたって、補導の過程を経由することが無い場合でも、それだけで違法となるものではない。

 ところで、原審の確定した本件退学処分に至るまでの経過は、おおむね次のとおりである。

 (1) 被上告人大学では、昭和36年10月下旬ごろ前記のような上告人らの生活要録違反の行為を知り、それが同大学の教育方針からみて甚だ不当なものであるとの考えから、上告人らに対してD同との関係を絶つことを強く要求し、事実上その登校を禁止する等原判示のような措置をとったが、この間の大学当局の態度を全体として評すれば、同大学の名声のために上告人らの責任を追及することに急で、同人らの行為が校風に反することについての反省を求めて説得に努めたものとは認めがたいものがあった。

 (2) 他方、上告人らは、生活要録に違反することを知りながらD同に加入し又は加入の申込をしたものであって、右違反についての責任の自覚はうすく、D同に加入することが不当であるとは考えず、これからの離脱を求める被上告人大学の要求にも真実従う意思はなく(加入申込中であった上告人A2は同年12月に正式に加入した。)、関係教授ら説諭に対しては終始反発していた。しかし、同年12月当時までは、大学当局としてはできるだけ穏便に事件を解決する方針であった。

 (3) ところが、昭和37年1月下旬、某週刊誌が「良妻賢母か自由の園か」と題して本件の発端以来被上告人大学のとった一連の措置を批判的に掲載した記事中に、上告人A1が仮名を用いて大学当局から受けた取調べの状況についての日記を発表し、次いで、都内の公会堂で開かれた各大学自治会及びD同等主催の「戦争と教育反動化に反対する討論集会」において、上告人らがそれぞれ事件の経過を述べ、更に、同年2月9日「荒れる女の園」という題名で本件を取り上げたラジオ放送のなかで、上告人らが大学当局から取調べを受けた模様について述べたので、被上告人大学では、これを上告人らが学外で同大学を誹謗したものと認め、ここに至って、上告人らの一連の行動、態度が退学事由たる「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものに該当するとして、同年2月12日付で本件退学処分をした。

以上の事実関係からすれば、上告人らの前記生活要録違反の行為自体はその情状が比較的軽微なものであったとしても、本件退学処分が右違反行為のみを理由として決定されたものでないことは、明らかである。前記(2)(3)のように、上告人らには生活要録違反を犯したことについて反省の実が認められず、特に大学当局ができるだけ穏便に解決すべく説諭を続けている間に、上告人らが週刊誌や学外の集会等において公然と大学当局の措置を非難するような挙に出たことは、同人らがもはや同大学教育方針に服する意思のないことを表明したものと解されてもやむをえないところであり、これらは処遇上無視しえない事情といわなければならない。

もっとも、前記(1)の事実その他原判示にあらわれた大学当局の措置についてみると、説諭にあたった関係教授らの言動には、上告人らの感情をいたずらに刺激するようなものもないではなく、補導の方法と程度において、事件を重大視するあまり冷静、寛容及び忍耐を欠いたうらみがあるが、原審の認定するところによれば、かかる大学当局の措置が上告人らを反抗的態度に追いやり、外部団体との接触を深めさせる機縁になったものとは認められないというのであって、そうである以上、上告人らの前記(2)(3)のような態度、行動が主して被上告人大学責に帰すべき事由に起因したものであるということはできず大学当局が右の段階で上告人らに改善の見込がないと判断したことをもって著しく軽卒であったとすることもできない

また、被上告人大学上告人らに対してD同からの脱退又はそれへの加入申込の取消を要求したからといって、それが直ちに思想、信条に対する干渉となるものではないし、それ以外に、同大学上告人らの思想、信条を理由として同人らを差別的に取り扱ったものであることは、原審の認定しないところである。これらの諸点を総合して考えると、本件において、事件の発端以来退学処分に至るまでの間に被上告人大学のとった措置が教育的見地から批判の対象となるかどうかはともかく、大学当局が、上告人らに同大学の教育方針に従った改善を期待しえず教育目的を達成する見込が失われたとして、同人らの前記一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいがたく、結局、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を是認すべきである

 したがって、右と結論を同じくする原審の判断は相当であって、原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 同第四章について。
 所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができないものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひっきよう、原審の専権に属する事実の認定、証拠の取捨判断を非難するに帰し、採用することができない。

 よって、民訴法401条、95条、89条、93条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

5. ポイントとなる事項

ここがポイント

・憲法19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものでない。


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  • この記事を書いた人

徳山 紗里

弁護士。京都女子大学法学部の卒業生で初の司法試験合格。 幅広い分野で弁護士の活動をしております。 詳細は私個人のホームページを参照ください。

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